wifi環境

光回線を契約しているにもかかわらず、wifiが遅い(遅いだけでなく、時々途切れる)ため、原因を探ったところ、プロバイダ支給のルーターの電波が弱く、家の中で届いていないことが判明。

中継機の導入も考えたが、新たにルーターを購入し、プロバイダ支給ルーターとは別の階にルーターNECAterm)を設置。その新たなルーターは、ブリッジモードでアクセスポイントとして機能させることにした。

結果、安定して高速通信ができるようになり、満足。

せっかくの回線のポテンシャルを、今まで活かせていなかったのだった。もっと早くやっておくべきだったと後悔。ルーター購入費の出費は痛いが、本来の光回線の恩恵を受けられるようになったと思えば、安い買い物なのかも。

ただし、amazonのFireTVは、5GHz帯でも特定のチャンネル(W52)しか対応していないため、当初は2.4GHzの周波数しか拾わなかった。ルーター側の設定で、W52のチャンネルのみを使用するように設定したところ、うまく認識するように。Atermは、スマホアプリからこの辺りの設定ができるため、非常に良かった。

行政ビジネス

 稲継裕昭、山田賢一「行政ビジネス」(東洋経済新報社、2011年)読了。

福井県の恐竜を軸とした様々な誘客活動を例に、従来の公私が二元論的に対立している関係から、行政と私企業がパートナーシップを組み、一体となって地域の課題の解決に向かっていくべきだ、という主張である。この関係のもとでは、行政は、従来は民間企業の活動領域とされてきたビジネス的活動を行い、地域活性化のための積極的な策を打っていく。マーケティングの手法等を用いて地域の持つ資源を売り込むことを、「行政の営業」「行政ビジネス」と呼んでいる。

知事の指揮の下、福井県が積極的に恐竜を軸としてテーマパークや映画会社、旅行会社、学習塾などとコラボレーションし、「福井=恐竜」ブランドを巧みに売り込んでいることは、事例からもよく分かった。実際に福井に足を運んだこともあるので、本当にうまくやっているなというのは実感できる。

ただ、この書では豊富な事例は紹介されるものの、一般論としては「従来の行政手法やスタイルを革新し、公と民が融合した「新しい公共」を作っていく必要がある」と主張するだけで、その「新しい公共」を作っていく上で現状では何が障害となっているのか、行政の担う機能のうちどのような分野が公共・民間が融合する形に適合的なのか、といった具体的な部分が未消化に終わった感が強い。

第5章で、現行の制度の下で民間企業とのコラボレーションを進めようとすると、随意契約等の締結に係る規制があるために、仕様書に適合した応募書類の作成、予定価格内での見積書の作成など、かえって民間企業に不合理な対応を求めることに陥る可能性があることが書かれている。この点、普段の業務で、手続の遵守を求めている立場からすると、非常に生々しく、ある意味で耳が痛い話なのであるが、たとえば福井県が実際に民間とのコラボレーションをするにあたってどのような課題が生じ、どのように解決したのかが示されれば、より参考になったように思った。

PFI市場化テストなどを挙げるまでもなく、公と民が融合していく場面はこれからも増えていくと予想される。「それは民間がやることであって、行政がやるような領域ではない」といった発想をしていては、先進的な取組をしている自治体に遅れを取ることになるのだよ、という警告と受け取った。

行政ビジネス

行政ビジネス

 

 

高校生レストランの奇跡

 三重県多気町で高校生が運営する「まごの店」の設立に携わった町職員の回顧録

かなりぶっ飛んだ学生時代のエピソードも面白いが、自由気ままな学生生活と地元の町役場での社会人生活とのギャップに苦しんだこと、職場に馴染めなかったのは自分自身に問題があったこと、なども正直に述べられており、面白い。

この人は、根っから人が好きなんだろうと思う。もちろん、「地元のために」という熱い思いをお持ちだと思うが、まず自分の興味や人との繋がりの中で面白そうなテーマを見つけて、周囲の人を巻き込んでのめり込んでいく。そうした熱量の高さを感じます。

そこまでの熱量は自分にはないけれど、たまたま割り当てられた職場で、最初は縁もゆかりもなくても、自分の興味・関心を広く持ち、関心に引っかかったことには自分でトライしてみる中で、やがて自分にしかできない仕事を見つけていく、というのは、今後の職業人生をどう生きていくかのヒントになると思いました。

「つかみに行くものがあるときは、今つかんでいるものを捨てなくてはいけないことがある」「絶対に軸をぶらさない」(p.72)

「随分長い間考え続けて、やっと気づいたのです。「策」ではなく、自分自身の考え方を変えるだけだと。」(p.136)

高校生レストランの奇跡

高校生レストランの奇跡

  • 作者:岸川 政之
  • 発売日: 2011/07/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

宮下規久朗「闇の美術史」

西洋美術において闇の表現がどのように発展してきたか、カラヴァッジョが与えた影響を軸に論じたもの。

光と闇を対比するカラヴァッジョの劇的な表現が、当時の画壇やその後の西洋美術に与えた影響、反響がいかに大きいものであったかがわかる。

カラヴァッジョが足を運んで作品を残した土地には次々に影響を受けた画家(カラヴァッジェスキ)が現れ、最先端の様式として伝播し、一世を風靡するが、周辺の土地(イギリス、明治時代の日本など)ではそれらの土地で時代遅れになった頃に遅れて流行が始まる、というのが流れ。

そして、光と闇の融合の境地に至ったレンブラント、闇を放逐し光で充満する画面をつくり、永遠性を獲得したフェルメールへとつながっていく。筆者は、ベラスケスの「ラス・メニーナス」とフェルメールの「絵画芸術の寓意」を、「カラヴァッジョからに始まる写実的な明暗表現が完成の極みに達したことを物語る記念碑」(p.155)と述べています。

表紙にもなっているカラヴァッジョの「聖マタイの召命」についてもページが割かれ、「マタイ問題」についても言及されていますが、従来の「誰がマタイか」という問題を超えて、「画面中の人物すべて、そして観者もがマタイとなりうる」という解釈が提示されています。

すなわち、神の招きは特別な人物にのみ起こるものではなく、いつでも誰にでも起こりうるのであって、神の招きに気づいた者がマタイになるのだと。ありふれた日常の中で、それに気づいた者が、神の存在や奇跡を感じ取ることができる。「日常生活の中では気づかないが、神の恵みはすでに与えられているのだ。…ありふれた日常の情景が神々しいものに変わりうること、私達の生活にも神秘の光が差し込むことがあること、しかしそれに気づくか気づかぬかは私たちの心持ち次第であるこということ、そして現実の光はそれだけで神の存在を感じさせうることを。」(p.68)

「聖マタイの召命」は現地で直接観た個人的に思い入れのある作品ですし、宮下先生が従来の解釈を超えて、更に深く自由な解釈を示されているのが印象的でした。

闇の美術史――カラヴァッジョの水脈

闇の美術史――カラヴァッジョの水脈

 

 

仕事

不調。ややこしい電話や案件が重なって、ふう。見たら今日は仏滅。諦めて早く寝よう。

先送りにした課題は先に送れば送るほど雪だるま式に膨らみ、慢性化し、解決が困難になる。

課題が生まれた瞬間にちょっとでも手をつけておく。ほんの少し時間を割くだけでいい。それでしばらく寝かしておいたらいい。まったく手をつけないまま見て見ぬふりをしていると、だんだん取り返しがつかなくなる。

 

仕事はチームでやるもの・・・どんな優れたピッチャーでも、一人では野球はできない。援護がなければ勝てない。