宮下規久朗「闇の美術史」

西洋美術において闇の表現がどのように発展してきたか、カラヴァッジョが与えた影響を軸に論じたもの。

光と闇を対比するカラヴァッジョの劇的な表現が、当時の画壇やその後の西洋美術に与えた影響、反響がいかに大きいものであったかがわかる。

カラヴァッジョが足を運んで作品を残した土地には次々に影響を受けた画家(カラヴァッジェスキ)が現れ、最先端の様式として伝播し、一世を風靡するが、周辺の土地(イギリス、明治時代の日本など)ではそれらの土地で時代遅れになった頃に遅れて流行が始まる、というのが流れ。

そして、光と闇の融合の境地に至ったレンブラント、闇を放逐し光で充満する画面をつくり、永遠性を獲得したフェルメールへとつながっていく。筆者は、ベラスケスの「ラス・メニーナス」とフェルメールの「絵画芸術の寓意」を、「カラヴァッジョからに始まる写実的な明暗表現が完成の極みに達したことを物語る記念碑」(p.155)と述べています。

表紙にもなっているカラヴァッジョの「聖マタイの召命」についてもページが割かれ、「マタイ問題」についても言及されていますが、従来の「誰がマタイか」という問題を超えて、「画面中の人物すべて、そして観者もがマタイとなりうる」という解釈が提示されています。

すなわち、神の招きは特別な人物にのみ起こるものではなく、いつでも誰にでも起こりうるのであって、神の招きに気づいた者がマタイになるのだと。ありふれた日常の中で、それに気づいた者が、神の存在や奇跡を感じ取ることができる。「日常生活の中では気づかないが、神の恵みはすでに与えられているのだ。…ありふれた日常の情景が神々しいものに変わりうること、私達の生活にも神秘の光が差し込むことがあること、しかしそれに気づくか気づかぬかは私たちの心持ち次第であるこということ、そして現実の光はそれだけで神の存在を感じさせうることを。」(p.68)

「聖マタイの召命」は現地で直接観た個人的に思い入れのある作品ですし、宮下先生が従来の解釈を超えて、更に深く自由な解釈を示されているのが印象的でした。

闇の美術史――カラヴァッジョの水脈

闇の美術史――カラヴァッジョの水脈